”起点”に帰る「バイオミメティクス」

 バイオミメティクス・・・生き物の形態や機能をまねて技術開発に応用すること。

 昭和から平成に元号が変わり、日本がバブル経済の中、多くの産業が多額の投資を行い発展を遂げていた1990年。JR西日本は運送業界で勝ち残るべく高速新幹線の開発を進めていた。飛行機に引けを取らないよう走行時速を上げ、時速300kmまでも達成した新型新幹線500系は走行実験の段階で大きな壁にぶつかった。

 それは「トンネルドン」だ。

 列車が高速でトンネルに入る時、トンネル内部の空気が急激に圧縮され、圧縮波が発生する。この圧縮波はトンネル内を音速で伝播し、トンネルの出口で急激に圧力が緩和されると、「ドン」という破裂音が発生。これこそがトンネルドンの発生メカニズムなのだが、これはトンネル出口付近で大きな音を発生させるため、周辺の建物や住民に影響を与えることがある。「騒音」も立派な環境問題なのだ。

この環境問題を解決に導いたヒントは最新技術ではなく野鳥なのをご存じだろうか。

カワセミのくちばしと500系

 JR西日本の技術者たちは、トンネルドンの原因である「空気抵抗の急変」をどうすれば抑えられるか頭を抱えていた。高速で突入する列車が、いかにスムーズに空気を押し分けられるか。それを考える上で、大きなヒントになったのは主に水辺に生息する「カワセミ」という鳥だ。カワセミは小魚や昆虫を捕食するのだがそのハントの仕方が美しい。川や池の上から頭からダイブして獲物を捕まえ、捕まえた魚を枝や岩にたたきつけてから飲み込む。注目したいのは魚を捕まえる瞬間だ。水面にまっすぐ飛び込み、ほとんど水しぶきを立てずに魚をくわえる姿。これこそが技術者たちに大きな気づきを与えた。

鳥, 自然, カワセミ, 鳥類学, 種族, 動物, 野生動物

 カワセミのくちばしは、先端が鋭く細く、根元に向かってなめらかに太くなる形状をしている。この構造によって、水面に突入する際に生じる衝撃波を最小限に抑え、スムーズに水中へと入ることができる。まさに、空気の“壁”に突っ込む新幹線が直面していた問題と同じだったのだ。そこで技術者たちはカワセミのくちばしの形を参考に、先端がとがり、流線形に長く伸びたノーズデザインを採用。この改良によって、500系新幹線はトンネル進入時の圧縮波を大幅に減少させ、トンネルドンの音をほぼ解消することに成功した。

 さらに、この形状は騒音の低減だけでなく、空気抵抗の削減にも寄与した。結果として、500系は時速300kmという高速を維持しながらもエネルギー効率を高めることができたのだ。

Nikonとサメ肌

 カワセミの事例は、自然の仕組みを模倣して技術に応用する「バイオミメティクス(生物模倣)」の象徴的な事例として、世界中で注目された。自然界が長い進化の中で培ってきた“最適解”を、人間の科学が学び取った瞬間である。

 あれから35年、自然界に存在する構造や仕組みを模倣し、技術開発へと応用する「バイオミメティクス」は、今や航空宇宙からエネルギー産業まで広く活用されている。日系大手の光学機器メーカーであるニコンが開発した「リブレット加工技術」も、その一つの好例である。この技術の発想源となったのは、意外にもサメの肌だ。

ニコン, 写真撮影, カメラ, スタジオ, 集中, Slr, レンズ

 サメの皮膚を拡大して観察すると、鱗の表面には細かい溝状の突起が規則正しく並んでいることがわかる。この「リブレット構造」と呼ばれる微細な溝は、サメが水中を泳ぐ際の流体抵抗を減らす働きを持つ。滑らかに見えるサメ肌は、実は流れを制御するために極めて合理的に設計された天然の流体制御装置だったのだ。

 ニコンはこの自然の仕組みに着目し、レーザー微細加工技術を駆使して金属や塗装面に同様のリブレット構造を人工的に再現することに成功した。リブレットの形状や間隔は、流体の速度や粘度、流れの方向などの条件に応じて最適化される。これにより、空気や水の抵抗を低減し、エネルギー効率を大きく向上させることが可能になったのである。

 この技術はすでに航空機や風力発電のブレード、さらにはドローンの外装など、さまざまな分野で実用化が進められている。航空機の表面に適用すれば燃費の向上やCO₂排出削減につながり、風車ブレードに施せば発電効率の改善が期待できる。自然界の知恵が、人間社会の「省エネルギー技術」として新たな形で生かされているのだ。

“イノベーション”以外の観点のSDGs

 カワセミのくちばしが新幹線の「騒音」を、サメの肌が「エネルギー問題」を――いずれも自然のデザインが人間社会の技術課題を解決に導いた。このように、バイオミメティクスの本質は「自然の最適解」を見抜く観察力と、それを「科学の言葉」で再構築する応用力の融合にある。自然は数百万年にわたり進化を重ね、環境との共存を前提に最適化を遂げてきた存在であり、その構造や機能には無駄がない。だからこそ、私たち人間が生み出すどんな人工的な発想よりも、環境に優れ、効率的で持続可能な解を示してくれるのだ。

 ペロブスカイト太陽光電池、CCUSなど最先端技術を使ったイノベーションで地球環境問題を解決する手立てを探す今日、バイオミメティクスは我々に「起点に帰る」視点を教えてくれているのではないだろうか。たかが700万年ほどの歴史で培われてきた文明の歴史よりも約46億年の歴史の中で形成されていった循環社会のほうが合理的で問題解決能力に富んでいる。バイオミメティクスの優位性とは、最新技術による「力づくの発明」ではなく、自然界の合理性を「謙虚に学ぶこと」にある。サメの肌やカワセミのくちばしに宿る知恵は、単なる模倣の対象ではなく、持続可能な未来を築くための教師そのものなのかもしれない。

(参考文献)概要|ソリューション|株式会社ニコン リブレット加工推進室

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

社会

前の記事

広告の力
総合

次の記事

資源戦争が身近になるとき