童話に出てくる「狼」と市街地に出てくる「熊」
市街地周辺に生息し、人間の生活圏に出没するアーバン・ベア。
近年、そんなアーバン・ベアによる被害は拡大しており、ニュースをつければ毎週のように被害報告がされている。それもそのはず、全国各地で相次ぐクマによる被害は留まることを知らず、今年に入ってもクマに襲われてけがをした人や、死亡した人は過去最多となった2年前とほぼ同じ水準となっている。
そこで論点になるのは自治体による対策だ。ハンターによる駆除に関する意見は具体的な対策を講じるまでに至らず、「クマを殺すのはかわいそう」という声や「クマをすべて駆除しろ」という意見の対立止まりなのが現実。
今回はそんなアーバン・ベアから見える本質的な問題を紐解いていこう。
森と狼とペスト
アーバン・ベアの駆除に関する意見対立において、強調されているのが熊の立場だろう。
人間の営みによって熊は住処を奪われ、人為的な温暖化によって食料が減少しているという話は人を襲うという危機的状況とは別に、事実として押さえておくべきだろう。一概に熊は人を襲う暴力的な生き物ととらえるのは身勝手な気もする。これに似た話が「狼」に焦点を絞ると浮かび上がってくる。
「赤ずきん」や「オオカミと羊飼い」など、おとぎ話に出てくるオオカミは常に悪者だ。グリム童話などで狼は「危険」「欺き」などの象徴として描かれることが多いが、日本神話に出てくる狼は、「畏怖」と「敬意」を集める「守護神」や「聖獣」としてあがめられてきた。この差異には、ヨーロッパの文明的発展が関連している。
ヨーロッパでは、中世以降、農地の拡大や都市化、そして燃料としての薪炭の大量消費によって、森林が急速に失われていった。特に11世紀から14世紀にかけての「中世温暖期」は人口増加と農耕地の拡大を後押しし、人々は次々と森を切り開いて農地を広げた。その結果、ヨーロッパの広大な原生林は激減し、かつて森の奥でひっそりと暮らしていたオオカミは、食料を求めて人間の集落や牧場へと姿を現すようになった。狼による家畜襲撃は、フランス、ドイツ、ポーランドなどで相次ぎ、農民たちにとって深刻な脅威となった。

例えばフランスの記録によれば、15〜18世紀の間に「狼害」で命を落とした人の数は数千人規模にのぼるとも言われている。さらに驚くべきことに、18世紀のフランスでは「狂犬病に感染した狼」が人を襲う事件が多発し、教会はこれを「悪魔の使い」として恐れ、村ごとに“狼退治”の祈祷が行われた。やがて国王ルイ15世の命令で“狼討伐隊”が組織され、鉄砲や罠による大量駆除が進んでいく。しかし、その裏で思いもよらぬ副作用が生まれた。狼を絶滅寸前まで追いやった結果、草食動物(鹿やイノシシなど)が爆発的に増え、農地や牧草地への食害が拡大。一度は「自然を制した」と思った人間社会が、逆に新たな生態系の歪みに苦しむことになったのだ。さらに森の減少と農耕地の過密化は、野生動物が持つノミやダニを通じた伝染病の拡大も招いた。実際、14世紀にヨーロッパを襲った「ペスト(黒死病)」の流行も、森林破壊と動物分布の変化が関係しているという説が近年の研究で指摘されている。
こうして見ると、狼が都市に現れたのは「人間社会への復讐」ではなく、自然がバランスを取り戻そうとする“反動”だったのかもしれない。
おそらく、狼の都市部での発生から駆除による生態系の乱れ、感染症の流行など負の連鎖が狼が「悪魔の化身」のように扱われた要因ではないだろうか。しかし起点は人間の森林伐採。人間の営みがどれほど残酷で、人間の印象に基づく伝聞がどれほど身勝手で都合のいいモノかよくわかる。
そして今、日本で熊が街に出てきている現状は、この中世ヨーロッパと重なる構図を持つ。
人間が森林を切り開き、里山を手放し、都市を拡大していった結果、熊が本来の食料を失い、人里へ降りてくるようになった。“山に熊が出た”のではなく、“人間が熊の領域に踏み込んだ”とも言えるだろう。狼が羊を襲ったヨーロッパと、熊が人を襲う日本。そのどちらにも共通しているのは、「生態系のゆがみは、いつも人間の手から始まっている」という厳然たる事実だ。
そして歴史から学ぶ因果として、この危機的状況を「駆除」という打開策で乗り切ると連鎖的に次の悲劇が起こるかもしれない。
共存は人間の「絵空事」
近年、住宅街や市街地に姿を見せるアーバン・ベア。少し色のついたことを言うと、この話は「熊が人里に下りてきた」というよりも「人間と熊の境界線が消えた」に近いのではないだろうか。いや、「引かれていた境界線の向こう側に悪影響を与えていた」ため、いぶりだしたといったほうが近いかもしれない。
山を切り開き、森を区画に変え、餌を奪い尽くした私たちは、自然から見れば“侵略者”だ。熊の出没は、人間社会への“報復”というより、“領土返還請求”に近い。だからと言って「駆除するのはかわいそうだ」といっている状況でもないように思える。これは人命がかかわっている話だから。だからこそこの問題を「駆除」という二文字で終わらせてもいけない。にもかかわらず、私たちは「出てきた熊をどうするか」という末端の議論ばかりを繰り返す。
本質はそこではない。問うべきは、「なぜ熊が出てこざるを得ない社会をつくったのか」だ。

熊を駆除しても、山が痩せ、森が切り刻まれ続ける限り、新たな熊が都市に現れる。狼の事例からわかるように歴史は繰り返されている。今こそ「熊が出てきたらどうするか」ではなく、「熊が出てこなくても生きられる森をどう取り戻すか」を考える時だ。
こんなこと誰でもわかっている…ありきたりな話だ。
そう、歴史が繰り返されても解決していない、断片的な対策が生んだありきたりな話だ。


