次世代の”革”が殺すのは

本革製品の利用を倫理的な観点から拒絶する動きがある。そうした動きも後押しになっているのか、革産業は過渡期を迎えているようだ。

南インドのヴィーガンレザー

ヴィーガンと言うと、動物由来の食事を避ける人のことを思い浮かべがちであるが、動物倫理の観点から肉食を拒絶する人々は同様の理由で本革製品の利用も拒絶する。そうした動物由来の素材を使用しないという理念の下で製造される革製品をヴィーガンレザーという。広義にはフェイクレザーと呼ばれる合成皮革や人工皮革も含まれるが、本稿では南インドで誕生したアップサイクル、「Malai」を紹介する。

インドは世界第3位のココナッツ生産国で、特に気温が高く降水量が多い南部で生産が盛んだ。一方、ココナッツ産業はココナッツオイルなどの製品の製造過程で出るココナッツウォーターが「廃水」として排出され、水質汚染などを引き起こしていることが問題となっていた。

そこで廃棄されるココナッツウォーターを回収し、発酵させて生成されるバクテリアセルロースを主原料とするMalaiが誕生した。2015年にインドで研究プロジェクトとして始まり、2017年に「Malai Biomaterials Design Pvt Ltd」という会社が設立され、事業化された。

100%植物由来で、ヴィーガン認証を獲得している。さらにほとんどの合成皮革や人工皮革が石油由来の素材を使用しているのに対し、Malaiは石油不使用なので生分解性の点でも非常に優れており、環境負荷が低いのだ。それだけではない。従来の皮革加工では化学物質を使用することによって労働者の健康を脅かしていた上に、それを洗い流すための大量の真水が必要であったが、Malaiは化学物質を一切使用しないためそうした点を考慮する必要がない。発酵は常温、乾燥は天然乾燥なのでそのためのエネルギーを必要としないことも特徴の一つに数えられる。

革新的な素材を使用しているだけに、むろん課題も多い。手作業が多いこと、発酵が製造過程に含まれることなどから短期的に大量の生産をすることが難しい。さらに手間がかかる分、当然コストもかかる。

ところで筆者はこのヴィーガンレザーが単に環境にやさしい「アップサイクル製品」ではなく、インド社会に大きな影響を及ぼし得るのではないかと考えている。

ヴィーガンレザーがもたらすもの

先述の通り、Malaiは革市場ではまだ存在感が薄いが、これが仮に従来の皮革(本革以外も含む)に取って代わるほど市場で圧倒的な地位を占めるようになった場合、インドの社会構造に多大なる影響を及ぼしかねないのではないだろうか。

ここでインド社会を語る上で避けては通れないカースト制度について軽く触れよう。インドのカースト制度はヴァルナとジャーティという二重構造でできている。まずヴァルナは比較的よく知られているように思う、4つの階級制度である。この階級に加えて不可触民(Untouchable)1という被差別カーストが存在する。ジャーティというのは世襲的な職業集団のことで、ヴァルナと相互に影響を及ぼし合っているが、必ずしもある特定の職業カーストが特定の階級カーストに結びつくというわけではないことは留意する必要がある。

伝統的に皮革業に従事する人々は不可触民に分類され、差別を受けていた。というのも、インドには宗教的に「浄/不浄」の概念が存在し、血や死体に触れることは「不浄」とされていたため、職業柄そうせざるを得ない皮革業カーストの人々は差別されていたのである。

この伝統的な、動物の死と結びついた皮革業が、Malaiに代表されるようなヴィーガンレザーの製造業に取って代わった場合、彼らは差別される理由がなくなる。「不浄」ではなくなるからだ。その点でもヴィーガンレザーはエシカル(倫理的)だと言えるのかもしれない。ただ、これを単に「善」と受け取ってしまうことにこそ、問題があるのではないかと考える。

「差別撤廃」に消される声

まず皮革業カーストの人々は職を失うことになる。仮に彼らにヴィーガンレザーの製造業を斡旋したとして、製造過程は本革とは全く異なるため、彼らの熟練の技術が発揮される場面はおそらくない。

そもそも差別を受けているからと言って、それと深く関係のある職業から解放されたいと願っているとは限らない。むしろそれをアイデンティティとしていることさえある。実際、ダリットの人々が――それが差別される要因であっても――自らの技術や職業に誇りを持ち、主体的に現実を受け入れていることを明らかにした研究もある。差別を受けているような、社会的に立場の弱い人々はしばしば社会に対して「受け身」の姿勢で語られがちではあるが、彼らの主体性を無視して彼らを「解放」しようとするのはかえって暴力となりかねない。

とは言え、ヴィーガンレザーは環境問題の観点から普及するのは必至であろう、そうなればインド社会におけるこうした複雑な社会構造の問題に直面するのは時間の問題である。そこで「環境にとっても、動物にとっても、ダリットの人々にとっても、倫理的によろしい」というような喧伝もなされるに違いない。差別撤廃を非難しているのではない。その文言を製品の普及に利用されかねないのではないかと、懸念しているのだ。

これを、たかが学部生の妄想にすぎない、と鼻で笑うだろうか。

  1. かつて不可触民と呼ばれた彼らは自らを「ダリット(抑圧された者)」と呼称することを好み、インド憲法では差別撤廃の理念より「指定カースト」と定めているが、未だ差別は根強く残る。 ↩︎

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