獣害・捕鯨から考える生物多様性

ニュースでしばしば獣害が取り上げられることがある。畑を荒らされたり自動車と衝突したり、場合によっては襲われて命を奪われたりすることもある。

猟友会が駆除に動くが、動物愛護団体やその他動物愛好家から抗議が入るというのもよく聞く話だ。昨年(2024年)の12月には以下のような報道もあった。

秋田県の佐竹知事は、スーパーマーケットに侵入したクマを駆除した際、県に苦情の電話が寄せられたことを受け、17日の県議会で「私なら『お前のところにクマを送るから住所を送れ』と言う」述べました。(原文ママ)

引用:NHK

県知事の過激な発言が物議を醸したというニュースだが、現地では「動物がかわいそう」などと言っている場合ではないほど深刻な問題だというのもまた事実であり、県知事の発言は現場に即した考え方が反映されたものといえる。

こうした状況を前向きに解決しようと、捕らえた鹿をジビエとして加工して販売するという取り組みがある。しかし死後硬直によって肉が固まってしまっては味が損なわれるそうで、即死させてはならないのだということを聞いたことがある。つまり鹿は苦しんで死ぬのである。

捕鯨は「残酷」か

『The Cove』(以下コーヴ)という映画をご存じだろうか。日本の捕鯨文化を猛烈に批判し、アカデミー賞を獲得した作品である。実際に鑑賞してみると、強引な編集やBGMによる演出が目立つ上に、撮影班のエゴや虚偽情報など、とてもドキュメンタリーとしては見ていられない仕上がりとなっている(あまり真剣に鑑賞しない分にはおもしろいかもしれない)。アカデミー賞という権威そのものを疑ってしまいたくなるほどの出来ではあるが、ここで映画批評をするつもりはない。

まずコーヴにおける目的の一つは、日本がひた隠しにしているとするイルカの屠殺現場を撮影することである。撮影過程における強引さは明らかに日本の法律に抵触しているが、結果的に撮影は大成功する。沿岸に追い込まれたイルカが鳴き声を上げながら殺され、海が血で真っ赤に染まっていくシーンは印象的で、何とも痛ましい。

コーヴから学ぶことは、プロパガンダの手法などではなく、動物倫理の問題である。この映画で一貫しているのは「イルカを含むクジラ類を殺すことはかわいそうだ」という考え方だ。アカデミー賞を獲得するということは、この考え方が受け入れられているということである。

この考え方は決して珍しくない。世界各地では捕鯨に反対するデモが実施されている。フランスのマクロン大統領もおそらく同じ考え方だ。

フランス大統領府は23日、デンマーク自治領グリーンランドの警察が21日に拘束した反捕鯨団体「シー・シェパード」の創設者ポール・ワトソン容疑者の身柄を日本に引き渡さないようマクロン大統領がデンマークに強く求めていると明らかにした。…ワトソン容疑者は日本の調査捕鯨を妨害したとして、日本の要請を受け国際刑事警察機構(ICPO)が国際手配していた。

引用:産経新聞

これは昨年7月のニュースである。このあと、ポール・ワトソン氏は釈放されることとなる。捕鯨文化が世界で主流でないから、そしてクジラ類を殺すことを止めるには何をしてもいいからだ。

彼らは西洋人なので、当然、肉食文化を持っている。つまり動物を殺すことそのものを否定しているわけではなさそうなのだ。ではなぜ、クジラ類に関してここまで過敏になるのだろうか。

彼らがよく主張するのは、「クジラ類は知能が高く人間に近い動物だから」ということである。コーヴの主要人物であるリック・オバリー氏もこの考えを持っている。しかしこれは裏を返せば「知能が低ければその動物の命は尊重する必要がない」ということである。これはいかがなものだろうか。

ヒトとヒト以外の生物との共生を考える

倫理の問題に答えはない。しかしだからこそ浅はかな考え方で終わってしまってはいけないのだ。常に我々の生活はあらゆる犠牲の上に成り立っている。ベジタリアンやビーガンだからと言って、何かの命を奪っていないというわけではない。

まず大前提として、いかなる命も粗末に扱ってはならない。「いただきます」は「かわいそう」を超越した信念だと私は考えている。我々の命も動物のものと同じく尊重されるべきだ。そうなると何かが犠牲になることは不可避である。しかしその犠牲を当たり前のことと思うのではなく、「いただきます」という言葉によって敬意と尊重を示すことが重要だ。よって「かわいそう」だから食べないというのは、真に命に向き合っていると言えるだろうかと私は疑問に思う。

その上で、自身とは異なる文化を独善的に否定しないことが重要である。文化に正義は存在しない。自文化中心主義は異なる文化の間に対立を生むのみである。

さらに現代社会に生きる我々が考えねばならないのは、生物多様性の問題である。多様な生物が共生する環境を考える際、人間の影響力というものを無視できなくなってしまっている。地球上の生物が絶滅するか否かは人間に懸かっていると言っても過言ではない。「いただきます」を言っているから、伝統文化だから、人間に危害を加えるから、どれだけ乱獲しても問題はないということはない。私たちが生きていく上でも他なる生物種の存在は必要不可欠である。持続可能な社会を構築するために、今こそ獣害や捕鯨といった日本に馴染み深い問題から多様な生物との共生のあり方を考えるべきではないだろうか。

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