水問題から見える「循環資源≠無限」の法則
地球の表面の71%、成人の人体の約65%、「しみこむ」「溶かす」などといった性質を活かしてほかの分子と化学反応を起こす水。それら水は、四大文明が河川流域付近で起きたように文明の発展に大きな影響をもたらしてきた。日本は降水量が世界平均の約二倍で、ダムや水路のインフラが整っていることから水の恩恵を感じる機会は少ない。
しかし今、水をめぐっての問題は世界中で大きな危機をもたらしている。今回はそのほんの一部を紹介したい。
利用可能な水の循環
水の惑星といわれる地球だがそのほとんどは海水で、淡水として使える水にはもちろん限りがある。1年間に雨や雪として降る降水量は約50万km³。その約8割、約39万km³が海洋上に、残りの約11万km³が陸上に降る。
ではその11万km³の水が使えるかというとそういうわけでもない。というのも陸上への降水量の約6割は土壌表面や湖沼からの蒸発、または植物の葉から蒸散し再び大気に戻るのだ。この降水量から蒸発散量を引いた量を水資源賦存量という。この水資源賦存量が年間4~5万km³として河川を通じて陸から海へと戻るとされている。
このように聞くと水資源がどれほど希少なものであるか実感するだろうといいたいところなのだが、実はそんなこともないのだ。というのも人類が年間に利用している水の総量は約3,800km³といわれている。つまり地球全体としてみれば活用可能な水資源は十分足りているのだ。しかし水問題が常に深刻であるのはそれらの活用可能な水が「偏在」しているということだ。これは気候変動や地球温暖化と無関係で古代から平然としてある事実である。

そうはいっても、人口は現在もなお爆発的に増え続けており、人が増えるということは必要な水、そして食物(水を多く必要とする農作物を含む)が必要だ。よって、この「水の偏在」という問題は結果的に深刻化しているというわけだ。
非再生資源である深層地下水とオガララ帯水層
循環しないで長年滞留している水がある。それは「地下水」だ。
これに関しては先述した水の循環の構造内にはない。そこで少し地下水についても見てみよう。
地下水には大きく分けて2種類ある。一つ目が降水が地下に浸透し数年で流出して循環する地下水だ。これを浅層地下水という。浅層地下水は循環型地下水である。これは先ほどとは異なったルートを通るものの循環している。
そしてもう一つが過去の古い地質年代から長期にわたり深層に蓄えられてきた地下水だ。これを深層地下水という。深層地下水は非循環型地下水だ。平均滞留時間は約600年といわれており、非再生型資源というわけだ。この手の水資源は貴重であるため誰もが利用するのには気が引けそうなものだ…しかし、そんなこともない。
アメリカ中西部の大草原地帯、通称グレートプレーンズに広がる、世界最大級の地下水であるオガララ帯水層。南北約1,600km、東西に約400km、テキサス州からサウスダコタ州にまで広がる地域では長年灌漑農業が盛んにおこなわれてきた。トウモロコシや小麦、綿花に牛の飼料用作物などを大量生産してきたわけだがそれに必要な水はお察しの通り、オガララ帯水層の非循環型地下水だ。主に氷河期農水や融雪水が主体の近くにたまった水をセンターピボット式スプリンクラーで効率よく給水している。これらの地域は年間降水量が少ない地域にあり、自然の補充は非常に遅く、地表から吸い上げると、再び自然にたまるのに何千年もかかるといわれている。
そう、地下に長く閉じ込められていた化石水を掘り出して使う一方通行型であるため地下水を使い切るスピードで地下水が自然に保有されるスピードを上回り、サステナブルな農法とはお世辞にも言えない構造が完成しているのだ。

現在、一部地域ではすでに地下水位が数十メートルも低下し、テキサス州やカンザス州では、場所によってはもう農業ができないところもでてきたという。将来的にみると、長期的には食料生産量の低下・農家の廃業・地域経済の崩壊が懸念されるのは言うまでもない。
ローカルな水資源を考える
深層地下水は化石水ともいわれており、化石燃料と同様に持続性がないことを長年、示唆されてきている。よって今後は気候変動対策と同様、持続可能な開発が急がれるだろう。
今現在オガララ帯水層地域では排出権取引と同様、water bankingといって節水した排出権を売買できる仕組みや、再エネ・エコカー補助金のように節水に適したドリップ灌漑システムの初期投資額を政府が補助する仕組みがある。持続可能な開発を公民一体となって進めているのだ。
グローバルな気候変動対策を縮図化したローカルな水資源問題はまさに”think globally, act locally”の象徴ともいえる話ではないだろうか。「循環資源≠無限」であること、「水は偏在する」ということ、「有限な地下水が消費されてきた歴史」を知り、改めて水が我々の生活に欠かせないことを痛感したのではないだろうか。享受されてきた恩恵は次世代に継承することが大切だ。地球温暖化のような大規模な話に関心がなくとも身近なところで一人一人の行動に責任が生まれる。温暖化対策などが全人類、すべての世代にとっての問題であるからこそ無関心になるのなら、「水」という身近な問題に目を向けてみてはどうだろうか。


