社会の「しわ寄せ」としてのごみ拾い

街に出ると、ごみ拾いをしている人を見かけることがある。たばこの吸い殻だったり、元の形状はご想像にお任せしますと言わんばかりに自動車でぺしゃんこにされた空き缶だったり、街には実にさまざまなごみが落ちていて、それをおそらく誰にやれと言われたわけでもなく拾っている人がいる。

彼らは、誰かがいつかはやらねばならないことをやっている。ごみ拾いをする人が世の中からいなくなれば、街はたちまちごみで溢れかえるに違いない。しかし動機は何であれ、ごみ拾いはごみ問題の根本的な解決にはつながらない。一方で、ごみ拾いをする必要があるということは、ごみ問題が解決していないということの証左となる。

今回はごみとそれらを取り巻く社会について考えていく。

記号を消費し、廃棄する

ごみ拾いによって拾われているごみは、「大量生産・大量消費・大量廃棄」という大看板を掲げる資本主義社会の象徴と言えるかもしれない。

我々はいつしか「新作」「今ハヤリの」などと言った記号にお金を払うようになった。本当にその商品・製品が必要なのかどうかは重要ではなく、それにお金を払うことで自身の消費欲・所有欲を満たそうとするのである。

しかし記号の消費はあくまで記号を消費しているに過ぎないので、物理的に所有欲を満たすことはない。際限なく欲を生み出し続ける状態を作り出すのだ。こうした記号にお金を払うシステムというのが、大量生産・大量消費・大量廃棄の原動力となっていると言って差し支えないだろう。

例えば、ある大手のコーヒーショップチェーンが「新作の」カフェラテを出したとする。人々は挙って店に駆け込み、新作ラテをいただくのだ。カフェラテはテイクアウトが可能で、容器は使い捨てのものだ。使い捨ての容器を採用しているのは、「新作」を求める大勢の客の殺到に応えるためである。その上、店側は容器を洗う手間が省ける。結果的に店内利用の回転率も上がる。大量需要に応えるための大量供給である。

カフェラテをテイクアウトした人々の中の、ほんの一部ではあるが、良識の無い人がその容器を道端に捨てる。その容器はどちらにせよどこかに捨てられる運命であるため、最終的に所有者が手放せば誰のものでもなくなる、つまり誰かが積極的に責任を負うものではない。先ほどまでラテが入っていた容器は、途端に「ごみ」と化す。

大量生産は大量消費を前提として成り立っている。しかし大量消費を助長させているのは紛れもなく生産者側であり、その結果ポイ捨てや大量廃棄が発生しているのであれば双方に責があるはずだ。

定住生活とごみ問題

ポイ捨てを個々人の意識の問題として結論付けるだけではごみ問題は解決しない。人類史からごみ問題の本質を見つめ直そう。

人類はかつて遊動生活を送っていた。数百万年という長い人類史のほとんどは、いわゆる「原始的な」狩猟採集の生活が中心であったのである。人類の定住が始まったのはおよそ1万年前で、ちょうど氷期が終わりを迎える時期と重なる。近年の研究によれば、こうした環境変化によって人類は定住化を余儀なくされたのではないかといわれている。

定住を始めると、ごみ問題が発生する。定住後、人間はトイレやごみ箱を必要とするようになる。遊動生活をしていたころは逆に必要がなかった。理由は言うまでもなく、ごみを捨てた場所からすぐに移動するからである。その上、適度に放置されたごみや糞尿はそこに生育していた植物などの栄養になっていたことだろう。ただし定住するとそういうわけにはいかず、ごみは溜まっていく一方だ。生活の場に放置すると悪臭がして、とても住めたものではない。

仮に人間が「ごみはごみ箱に捨てるもの」という性質を先天的に身につけているならば、ポイ捨ては発生しないし、赤ちゃんにおむつは必要ないのだ。我々は定住によって余儀なくされた習慣を後天的に習得しているのである。

つまり人間は「仕方なく」ごみ箱にごみを捨てているのである。少なくとも1万年は「仕方なく」続けてきたわけだが、ここ200年足らずで社会は凄まじい勢いで変容している。「大量生産・~」の概念もその流れで醸成された。そこで我々は「仕方なく」続けられるのか、すなわちこの「ごみをごみ箱に捨てる」という行為に持続可能性があるのか、考える必要が出てきたのである。

リサイクルではなくリユース

使い捨てを前提とした製品は持続可能性がない。よって使い回しができる製品を推進するのだ。それはリサイクルが可能か否かの話ではない。リユース(再使用)が可能か否かの話である。カフェラテの話に沿うならば、カフェラテの容器は店側で用意せず、マイタンブラーあるいはマイボトルを持参した消費者のみに提供するということだ。

実際、大手コーヒーショップチェーンのスターバックスでは「タンブラー部」と称して、以下のような取り組みがなされている。

タンブラーをお持ちいただくと、資源節約にご協力いただいたお礼として、ドリンクを¥22値引き(店内税込価格)、¥21値引き(お持ち帰り税込価格)いたします。

引用:スターバックスコーヒージャパン

もちろん、スターバックスはタンブラーを持参しなくても利用できるが、割引価格がタンブラーを持参する動機づけになるのだ。

冒頭で述べた通り、街に落ちているごみはさまざまで、必ずしもごみが現代社会の様相を写し出すというわけではない。しかしごみ拾いという行為は、ポイ捨てを個人の責任ではなく社会の責任として帰すものであり、同時に社会がポイ捨て問題に正面から向き合っていないことのしわ寄せでもある。一人一人がポイ捨てをしないようにするという意識もむろん大切だが、社会の一員としてごみ問題をどう解決していくかを考えることも必要ではなかろうか。

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