離島が示す未来のカタチ

筆者は今、愕然としている。

現在日本最南端の有人島、波照間島に滞在しているのだが、その物価の高さを目の当たりにしてただ、立ち尽くすしかないのである。せっかく援農隊としてサトウキビを刈ってお金を稼ごうと思っていたのに、これでは生活費でほとんど溶けてしまうではないか……と。

これほど物価が高い理由、ひとえに「輸送費」である。

日本のインフラ「2033年問題」

現在、日本では高度経済成長期に整備された橋、道路、水道などといったインフラが一斉に寿命を迎えようとしている。2033年というのはゾロ目の気まぐれではなく、建設後50年を迎えるインフラが全体の約半数に達するという話だ。

なぜ50年なのだろうか(鶴の寿命じゃあるまいし、と思った方もいるだろうか)。実は当時の設計基準で造られたコンクリート製の建物の寿命は50年が目安とされているのである。

過疎化が進む地域では修繕費用を確保できず、「立入禁止」といった規制線を張ることによってのみ、対策をしているところも少なくない。あるいは、人の少ない地域まで電気を通していても、それを維持する費用もない。

ここ数年、何度か道路陥没のニュースを見かけることがあったのではないだろうか。最近の事故では死者も出ている。つまり、2033年問題はこれから起きる問題ではなく、既に起き始めている問題でもある。

波照間島のような離島では、海沿いに塩害を防ぐための防風林が設けられているのをしばしば見かける。それでも島の外周道路のガードレールは完全に錆びついて変色していることもある。海岸沿いでは塩害によって金属が腐食しやすく、インフラの劣化が早いのである。

劣化は早いが、輸送費用の問題などから維持・修繕が困難である。波照間島に関しては月のうち半分のフェリーが欠航することも珍しくなく、そうなると物資の輸送が滞る。ネットショッピングをしても、届くのに10日は見ておいたほうが良いと言われる。もはや船自体がインフラなのだ。

インフラがインフラを食う

このごろ話題の「メガソーラー問題」。平地の少ない日本では山を切り開いて太陽光パネルを設置するといったことが各地で行われているようで、環境にやさしい発電のために環境破壊をしているのでは本末転倒ではないかと、ちょっとした騒ぎになっているのである。

電気もインフラだが、森林もインフラである。先ほど離島の例で防風林を出したがそれだけでなく、木々の根が地盤を安定させたり、緑のダムと言われるように雨水を保水する機能を備えていたりと、二次災害を防ぐような重要な役割を果たしているのである。

森林を伐採して土地を開けば、土砂災害の危険性が高まるだけではない、土砂の流出によってアスファルトが下から崩れて道路陥没にも繋がりかねないのである。メガソーラー問題はインフラがインフラを破壊するような状態、とも形容できよう。

離島モデルの可能性

こうした問題に対する具体策を、離島で実証する試みが行われている。離島で先駆的なモデルを構築することで、今後「陸の孤島」が増加するであろう本土の各地域でも応用できるのではないか、と考えられているのである。

例えばこれまでの記事でも述べられてきたこととも重なるが、サーキュラーエコノミー(循環型社会)を実現させることで資源を自力で賄うだけでなく、離島特有のごみ処理の問題も深刻にならない。

波照間島は風力発電と内燃力発電(小型の火力発電)によって電力が賄われている。しかし火力発電は言うまでもなく環境負荷がかかり、その上燃料の輸送費もバカにならない。だからといって風力発電に頼りすぎても、電力の供給が安定しないので島全体が停電に陥る危険性がある。

そこで、導入されているのがマイクログリッド安定化装置である。風力発電を最大限に活かしながら、その電力供給の不安定さを最小限の内燃力発電によって調整するための最先端の装置である。これにより、風の状態が強すぎるわけでも弱すぎるわけでもないときは島で再エネ100%を達成できることもある(これは世界的に見ても珍しい)。

あるいは現在世界各地で広がりを見せ始めているDAO(分散型自律組織)は、意思決定において中央が深く関わるのではなく、地域住民がそれぞれの主体性でもって地域に貢献していくというシステムである。離島では行政のインフラ整備を待っているだけでは、生活が成り立たない。だからこそ日本の伝統的な共同体である「結」(波照間島では類似したものに「ゆいまーる」というものがある)のように、共同体を単位とした社会のあり方がインフラを解決する可能性を秘めている。

これは原始的な生活に戻るというより、むしろ現代のテクノロジーを活用して、より新しい社会を築こうとする試みである。この試みによって、持続可能な社会は理想でも無理をすることでもなく、むしろ便利な社会をつくるためには持続可能でなければならない、そのような意識へと向かっていくのではないだろうかという気がしている。

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